他者の痛みがわかる心

小学校の構内に進入して多数の児童を殺傷し、先般刑を執行された死刑囚について。

  • 死刑判決確定後にも16回に渡り面会を続けた臨床心理士の言葉 (asahi.com 2004.09.14 より)
    • 初めのうちは法廷での振る舞いと同じように身勝手なことばかり話していた。しかし、次第に「自分が子どもの立場であれば、無念やったろうなあ」などと、罪の意識を感じさせる言葉を、思い詰めたような表情で語るようになった
    • 幼少の頃から、(他人に)自分の身になって考えてもらったり、相手が間違っていた時に謝ってもらったり、といった経験に欠けていた。彼には謝罪という心の働きが理解できなかったのだと思う。
  • 昨年末に獄中結婚をした妻が、死刑執行に抗議する集会に寄せたメッセージ(抜粋) (asahi.com 2004.09.20 より)
    • 昨年末の入籍後、「家族愛」のような絆(きずな)を少しずつでも築き、そういう関係性から他者の痛みがわかる心が芽生えることだけを祈り続けた。少しずつだが変化が見受けられることもあったが、精神・肉体の苦痛に最後まで耐えることができずにか、自らの死を求める境地との狭間(はざま)で、彼の心はいつもガタガタと音を鳴らして崩れてしまう日々の連続だった。犯した大罪は決して許されることではないが、もう少し対話を続ける時間が欲しかった。

最初、asahi.comの記事でこの「妻」のコメントを読んだ時には、片や死刑となるために多数の児童を平気で殺傷し、片や他者の痛みが分かる人になってもらうために死刑囚と結婚するのか、と“感心”とは違うけど少し心打たれたんですよ(で、そのままhatenaにアップしようとしていた)。でもこの女性は何者なのか、キリスト者なのか、と気になって少しぐぐってみたら、もともと死刑廃止運動をしている人物という事で一気に気分が醒めました(死刑廃止運動そのものについては反対でも賛成でもない)。死刑囚の妻だから死刑執行抗議集会にメッセージを寄せたのではなく、もとから運動家だったのか。
何のために結婚したんでしょうか。死刑廃止運動のために利用した? 「他者の心の痛みがわかる心が芽生え」て欲しかった? 対話を続ければ贖罪の意識が芽生えた?
何のために殺し、何のために生かすのか。